神社紹介



郵便番号 〒 5280211
鎮座地 滋賀県甲賀市土山町北土山469
TEL 0748-66-0018
FAX 0748-66-2828
HP http://tamura-jinja.com
トップ > 滋賀県の神社 > 神社紹介
田村神社 (タムラ) 〜(田村さん)
御祭神
坂上田村麻呂公 嵯峨天皇 倭姫命
〔配祀神〕稲倉魂命 大己貴命 国狭槌尊 大山咋神 荒魂
御神紋
田村みょうが
御由緒
本神社は垂仁天皇四十五年の創祀と伝えられ、皇女倭姫命、天照大神を奉じ甲可日雲宮に鎮祀しされ、郷人姫命の神功を追慕し生霊を奉祀し以て高座大明神と称す。降って弘仁三年嵯峨天皇の勅により坂上田村麻呂を神社程近き二子峰に鎮祭せられ同十三年四月八日高座大明神の傍に一社建て遷宮高座田村大明神と称す。社殿は古記録によれば天文十一年に再建。天文五年に焼失、延保四年社殿一棟を再建、中左右の三座を設け新に嵯峨天皇を奉祀す。古くは本殿二宇の外攝末社二十四社ありしが現在は本殿及境内社一社を存す。
社名古くは高座大明神降りて高座田村大明神又は高座神社と称せしが中古後水尾上皇より寛永十五年下賜せられたる額正一位田村大明神とあるにより明治二十年四月六日許可を受け田村神社と改称す。皇室の御崇敬に関しては、寛永十五年後水尾上皇より勅額を下賜せられ、文久三年伊勢勅使柳原中納言参拝初穂の献上、明治二十一年有栖川一品親王及大妃両殿下御参拝幣物を賜る。武門武将藩主に至りては寛永二年鍋島侯、享保十三年中山前大納言、同年植村土佐守、明和七年代官多羅尾氏外数十人の参拝あり特に田村麻呂の後裔一ノ関城主田村候代々の崇敬厚く寛永十五年鳥居の寄進其の額は坂上村隆の筆なり、正保四年社殿造営費の寄進、元禄十年田村建顯候参拝太刀及和歌を献じ、宝永五年遙拝殿建設費の寄進、正徳元年太刀を献じ、同三年以後毎年米十石を寄進元禄より宝暦に至る代参六十五回に及び現在におよぶなり。
一般崇敬に至りては祭神田村麻呂或時神記して宣く「人民厄難を除き安全を祈る者は毎年正月十八日神前に詣で東の方に向い其の身の年の数を節分の前火豆にて数へ神前に投て災厄を払うべし」と此の神記により現在二月十八日厄除祭を行い参詣者数十万人に及び崇敬講社員は、近江、伊勢、伊賀三国に及び数万戸なり。
厄除の由来
此の祭儀の起源は古く公鈴鹿山道に悪鬼を平定し給いしより、五穀豊熟せず、疫病流行し、弘仁正月詔ありて厄除大祭を挙行せられ、其の霊験いやちこなりしより、厄除の大神と広く厚く崇敬せられた。
神矢の由来
弘仁元年秋九月勅を奉じて鈴鹿の悪鬼を言向平げ給いて御弓矢を張り給いて申し給うに今や悪鬼もなし之より此の矢の功徳を以て万民の災を除かん此の矢の落ちたる地を吾が宮居として斎き祀れと放ち給へるに本殿前に落ち不思議や青々芽出したる現存の矢竹であり、茲に大神の御心を心として神矢を謹製賽者之を戴き厄災を祓う深き信仰なり。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行三間 覆屋あり
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行三間三尺
境内社(摂社・末社)
稲荷社
主な祭礼
2月17日〜19日厄除大祭 7月25日〜27日万燈祭 11月23日新嘗祭
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月 8日
2月 8日 厄除大祭 
祭神坂上大宿禰田村麻呂は、勅命を奉じて鈴鹿山中にて東海道を通行する旅人を悩ます悪鬼(山賊)を平定し平安を取り戻したという。しかしその後も、五穀は豊熟せず疫病が流行したため、弘仁3年(812)に厄除大祭を斎行すると、霊験が速やかに現れたと伝える。以降、現在に至るまで厄除けの大神として広く信仰されている。
〔本務社|甲賀支部〕
Copyright(C)滋賀県神社庁. All rights reserved.