神社紹介
郵便番号 〒 5203031
鎮座地 滋賀県栗東市綣1004
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大宝神社 (ダイホウ)
御祭神
素盞嗚尊
〔配祀神〕 
御神紋
左三ッ巴
御由緒
当神社は当郡小平井村信濃堂に降臨のところ、大宝元年疫病流行の時神教に依て当地に鎮座され、大宝天王の神号と神階正一位を勅定された。この儀は神社啓蒙諸社一覧、日本風土記、和漢三才図絵等の書に記され、また大宝元年遷座の時下し賜わった御綸旨今に伝来する。永享五年足利義教より神領三百十一石を寄進され、その朱印状も現存する。永禄年中兵乱により五十郷の氏子も次第に減じて三十二箇村となり、元亀二年信長公が比叡山を燃亡の折三百十一石の社領は上地となり社殿のみ残った。寛永六年徳川家は綣村を渡辺山城守の所領とし、境内社日吉神社灯明田一反歩の寄進があり、その後の社殿建立、修復を子孫に継いで怠らなかった。また享保元年京都宝鏡寺宮より四脚門両築地付の寄進があり、元禄二年曼珠院宮二品良尚親王より大宝天王宮の御染筆の額の寄進、天明八年御室御所より御紋付の提灯御寄附、寛政六年同所より金五十両寄進あり、その御墨付も現存する。
明治に入り時宗仏眼寺と分離し大宝神社と改めた。それ以後も氏子区域は広く、各大字に境外社三十八社を教える。明治九年村社、同十四年郷社に加列。
尚境内社追来神社の創祀年月は古く不詳であるが弘安六年棟上の記があり重文に指定されており、木造狛犬に伊不伎里惣中とあるので、延喜式内社意布伎神社であるとの説もあるが不明である。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口二間三尺 奥行三間一尺
〔拝殿〕入母屋造 間口三間一尺 奥行三間一尺
境内社(摂社・末社)
追来神社(重文) 稲田姫神社 伊勢両大神宮 八幡蛭子神社 大国主神社 稲荷神社 市杵嶋神社 日吉神社他24社
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
5月 5日
10月 5日 相撲祭
〔10月18日に近い日曜日〕水利をめぐつて、栗東町北中小路と守山市二町では争いが絶えなかつたが、相僕によつて勝負したのが祭りのおこりと伝える。 祭典の後、境内を土俵として、神事相撲と称し、北中小路と二町の子供が赤白の褌をして押し相撲を行う。その後、子供・青年・一般に分かれて奉納相撲が行われる。
1月 1日
〔本務社|草津・栗東支部〕
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