神社紹介



郵便番号 〒 5230828
鎮座地 滋賀県近江八幡市宮内町257
TEL 0748-32-3151
HP http://himure.jp/
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日牟禮八幡宮 (ヒムレハチマン)
御祭神
譽田別命(ホンダワケノミコト) 比賣神 息長足姫尊
御神紋
左三ッ巴
御由緒
当社の伝記によれば、応神天皇六年に天皇当国の奥津嶋之神社へ行幸なされんと思し召しになり、知波之御崎と云う所より船をお使いになり湖水に到着なされた。入口に小嶋があり、此の嶋にお着きになって、天皇自ら垢離を行われて、奥津嶋之神社にお詣りになられた。遷行の折に宇津野々辺に御少憩になり、四方を御覧遊ばされて、「知葉崎の加津野を見れば百千足家も田もみゆ国の府もみゆ」と御詠になり御座所を置かせられたという。その後年を経て御仮屋の跡に日輪の形二つ見る事が出来た。それ故祠を建て、日群之社八幡宮と名付けると記されてあり、続いて持統天皇五年に藤原不比等日群社に詣でられ、「天降の神の誕生の八幡かも比牟礼の社になびく白雲」とお詠になり、故に比牟礼之社と改むと記され、寛平元年奥津嶋神殿鳴動して、火玉飛出て比牟礼之社に入ると云う。奥津嶋之宮所は一夜にして湖水と成り、奥津島之神霊比牟礼社に移られた。故に当社八幡宮を三社二神九所之社とするとある。正暦二年法華峰に社を建て、宇佐八幡宮を勧請して上之八幡宮を祀り、寛弘二年遥拝の社を山麓に建て、下の社と云うと記されている。又天正十八年関白秀次公が法華峰に城を築くに当り、上之八幡宮を外に遷し、城が完成の後は日杉山に社を建て、お遷しする間御神体を比牟礼社に遷させていただきたい、との事であったが城が完成せず秀次公高野山に於いて他界の為、社も完成せず現在の一社の姿に成ったと伝える。皇室の御崇敬をはじめ、足利徳川両将軍、近江守護佐々木氏も、蒲生野の守神と崇められた。八幡神社として明治九年郷社に、大正五年県社、同六年神饌幣帛料供進指定をうけた。昭和四十一年には神社本庁別表神社に加列、神社名を日牟礼八幡宮と改称、昭和五十六年境内整備事業が実施され社務所の新築等が行なわれた。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造千鳥破風向拝付 間口三間三尺 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行三間三尺
〔その他〕神饌所 能楽台 楼門 神輿倉 神倉 手水舎 斎館 鳥居 二基内一基木造(県建) 社務所
境内社(摂社・末社)
大島神社 岩戸神社 繁元稲荷 八坂神社 恵比須神社 天満宮 常盤神社 宮比神社 愛宕神社 秋葉大神 子安大神
社宝・文化財
八幡神社鳥居一基附造立関係文書四通一巻(県建)
安南渡海船額一面(重絵)

木造
誉田別尊坐像(重彫)
比売神坐像(重彫)
息長足姫尊坐像三体(重彫)

木造男神坐像一体(重彫)
木造男神像七、木造女神像九、計十六体(市彫)

国選択無形民俗文化財
県指定無形民俗文化財 八幡まつり・左義長まつり
主な祭礼
左義長まつり(3月14日・15日に近い土・日曜日)
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月 15日 八幡祭り
応神天皇が近江に行幸の際、舟で現在の南津田へ上陸した時、住民が葭で松明を作り、八幡まで道案内をしたと伝える。14日夜、八幡12郷の中鷹飼より祭りの火が始まり、最後に拝殿神輿前にて「まいじゃらの神事」「けずりかけの神事」が行われる。千年来の鉾が神役に渡され、翌日の太鼓渡しの順のしるしとなる。そして15日夕刻から渡御が行われる。
3月 15日 左義長祭(3月14・15日に近い土・日曜日)
『信長公記』に、織田信長が安土において毎年正月盛大に左義長を行い、自ら異粧華美な姿で踊り出たとある。信長没後、豊臣秀次が安土の住民を八幡城下に移住させたことにはじまる。 左義長は藁で三角錐の松明を作り、そこへ赤紙を中心とした紙製品で飾り付け、自由な変装をした踊り子が神輿のように担ぎ回る。日曜日の夕、くじの順に奉火する。
1月 1日
〔本務社|近江八幡支部〕
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