神社紹介
郵便番号 〒 5290314
鎮座地 滋賀県長浜市湖北町留目0256
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鹿嶋神社 (カシマ)
御祭神
武甕槌神 天児屋根命 斎主命 姫大神
〔配祀神〕猿田彦命 宇迦之御魂神 彦多都彦命
御神紋
下り藤
御由緒
仲哀天皇越前角鹿へ行幸の途次勅し給いて武内宿禰が勧請し、天智天皇9年右大臣中臣金運社殿を造営、降って神護景雲2年荘司公文社殿を再び造営した。武家の尊敬篤く建久4年源頼朝は社領を寄進し、鎌倉政所は禁制札を建てている。京極持清は社領300貫を寄進するとともに浅井氏小谷山に城を築くや産土神として代々祈願社として留目村の地五百石を社領として奉納する。元亀天正の戦火によって建造物旧記什物等悉く烏有に帰したが、豊臣秀吉神威を畏み、片桐東市正、木下半介の両人に命じて復旧せしめて天正19年朱印社領二百石を寄進し同20年には更に五十石を加え幣帛料を献納している。慶長7年徳川家康も社領二十石を奉じ、江戸城本丸造営役徒に際しては遠国の故をもって祝儀として参府に及ばずとの通牒をせしめている。文化3年九条摂政より白銀を献ぜられ祈願所として年々幣を奉られ、文政5年には仁孝天皇御撫物を下附せられるなど皇室の尊敬も篤かった。浅井氏縁りの豊臣秀吉の室淀君を始め、徳川秀忠の室、京極高次の室等母方の氏神として徳川氏は大巡見使派遣の際は幣帛を奉納している。旧来神主2人、神部6人奉仕の制が明治4年まで続いた。明治9年村社に列し同15年郷社に昇格同42年神饌幣帛料供進社に指定され、昭和51年神社本庁第1期神社振興対策神社に指定された。
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口一間三尺 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行二間三尺
〔その他〕

主な祭礼
おこない 1/18
祭礼日
祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
4月 18日
〔本務社|東浅井支部〕
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